みじかいまとめ

どーしょもない本なんだけど、コラムだけはすばらしい本を発見。デザインの未来について、広告の未来について、わたしの未来について、というテーマで若手クリエイターが自分なりの意見を綴る、というもので、3.11が起こってしまった今だからこそ(だからこそという言葉は大嫌いなのですが)の、広告への思いをそれぞれが真摯に語ってます。安直なテーマっぽいけど、これってけっこう難しくて、私は2月に取り組んで迷宮入りしました。たぶん、わたしが、命がけで、広告やデザインと向き合えていないからなのだな、と、自己嫌悪に陥ったりしました。


ということで、早起きついでに考えてみます。人の言葉のつぎはぎになるかもしれませんが、「私は」どう思うかをまとめようと思う。


広告は幸福を売るものだ。
大好きな秋山晶さんの言葉です。私は、秋山さんの書いた素晴らしいコピーと、この言葉に感銘を受け、広告の道を生業にしようと決めました。さて、末端ですが業界にはいって5年が経った今でも、いろんなことに一頻り慣れてしまった今でも、そんないい時代もあったよなという人もたくさんいると知った今でも、これはやっぱり本当で、私はここからブレちゃいけないんだな、と思っています。


広告の役割は告知ではなく、幸福なイメージを伝えることにあると思います。単に告知だったら「きゅうり3本100円!」で売れるのかもしれない。でも、そこに、何らかの幸福なメッセージを含ませられることに、私は作り手として魅力を感じます。つまり、傲慢かもしれませんが、受け手がほんのり幸せになってくれたら、ちょっとだけでもメッセージを心の中で反芻してもらえたら、なんて思いながら、私は作っています。逆に言うと、広告は、幸福なメッセージがないと作れない。作らない方がいい。だから私は、デザイナーだからといって、単にレイアウトやきれいな見せ方ばかり考えることを憎みます。(もちろん、最終的な完成度は、とっても重要なことは重々わかっておりますよ。)広告においてのデザインの役割は、幸福なメッセージをどんなイメージで伝えるか作り込むことにあるのだと思う。


こんなことになってしまった今だからこそ広告の力で、なんてことは絶対言いたくない。広告は、広告なんて、いつの時代も広告以上でも広告以下でもなかった。でも、ほんとうに微力ながら、ポジティブなエネルギーだけは、提供できるかもしれない。ああ今夜はエビス飲んでちょっと贅沢しよう、とか。キューピーハーフ使ってる自分好きかも、とか。本当にその程度だと思う。逆に言うと、人生を大きく揺らがすようなメッセージは伝えられない、と言い切れるかもしれません。だって、たかが広告だ。人生を大きく揺らがすようなメッセージを伝えたかったら、他のアウトプットを選ぶべきなのです。


なんだか凄く前向きな文章で、本当かよ綺麗ごとかよという突っ込まれそうですが、私は、多分、ねあかで、とっても広告屋向きなんだと思うこのごろです。そう、それで、果たして自分はちゃんと幸福を作ってこれただろうか、と考えると気が狂いそうになるのですが、少なくとも私は、これから、幸福を目指していきます。ということが定まりました。